都市プランナーの雑読記 その110
内田樹『街場の読書論』潮新書、2018.09
2026年3月6日
大 村 謙二郎
内田樹の本を初めて読んだのは、ずいぶん昔で、そのとき読んだのは彼の最初のエッセイ集(それ以前に専門書や自費出版の書籍はあったらしいが)である「ためらいの倫理学」だ。それ以来、すべてとはいわないが相当たくさんの内田本を読んできた。
これは、2012年に単行本として出版されたものの新書版である。彼の膨大なブログを編集して、6章に分けて書かれている。広い意味での読書に関わるエッセイ集といえようか。
内田は中学生の時から、ガリ版を切って自分メディアをせっせと作ってきた、年季の入った書き手であり、自分の語りたいこと、しゃべりたいこと、相手に伝えたいことがこんこんとわき出るように書ける驚異の人だ。
フランス現代思想が専門というが、漢文の教養、古典の教養も深く、本当に博覧強記、多才な人だなと感心する。彼の造語能力、エクリチュールというのか、よく、ネタ切れしないで話題が尽きないものだと感心する。
本書では170冊を超える本に言及しながら、読書、文芸、リテラシーのこと、ライティングのことなどが縦横無尽に語られており、それぞれが面白い。
内田は彼がものを書くにあって、心していることは読者に届くメッセージを込めて、リーダビリティの高い本を目指すといっているが、成功していると感じる。少なくとも彼はある面では謙虚であると同時に、自分の文体、エクリチュールに自負心を持ち、細心の注意を払っていることがよく分かる。
いろいろあるが、本書の中で、朝日ジャーナルについて書かれたエッセイは印象深かった。戦後の日本の奇跡の復興を担ったのは明治生まれの、40代、50代の世代であり、ある意味では戦争を担った世代が今度は、民主主義という旗印の下で経済成長の基盤を作ったのではとの指摘だ。
もう一つ下の世代、戦後まだ20代、30代であった内田の父親世代は、戦争にかり出されたが、実質的に戦争を主導したわけでもなく、上の世代が価値観をがらりと変えて、戦後日本の体制を領導することに違和感、ルサンチマンを感じていた世代である。そういった、戦争体験をうまく消化、総括できなかった内田の父親世代が、朝日ジャーナルにシンパシーを感じたのではという見立てはなるほどと思う点がある。
では、その次の団塊世代である、内田も含めた私たちから見た朝日ジャーナルはどうだったのだろうか。私は60年代末から、70年代にかけて、結構朝日ジャーナルを読んでいた。その当時のオピニオンリーダたちの議論を興味深く読んだが、内田ほどの深読みはできなかったなと思い出す。書物を通じて、いろいろな考え方があり得るのだということを教えてくれるエッセイ集だ。
