都市プランナーの雑読記 その107
鹿島茂『吉本隆明1968』平凡社新書、2009.5
2025年12月24日
大 村 謙二郎
2009年にこの本が刊行された直後に読んで、吉本の読み方に目からウロコの印象を持った記憶がある。その後、時間をおいて、再読したのだが、今度は何とも難解で、なぜこういったことに鹿島はこだわり、吉本に引かれるようになったのか、ぴんとこない点が残った。
最近、この書が平凡社ライブラリーのかたちで再刊されることになり、その解説を内田樹が書いていることを、彼のブログで知った。
内田は流石で、鹿島のこの書の販売促進になるのなら、といった触れ込みで、鹿島のこの本は今後吉本を研究、読み込むための最良のリファレンスになるだろうとの断りを述べた上で、再刊本の解説「吉本隆明1967」を全文掲載していた。内田の吉本解説もたいへん、有用で面白い。http://blog.tatsuru.com/2017/11/10_0906.html
内田は早熟の文学、思想少年だったようで、中学、高校(日比谷)高校時代も頭脳明晰、優等生だったのだが、あるときから暴走して、知的不良、素行不良少年になり、高校を中退したとのこと。どうもその時に、吉本と遭遇したらしい。中卒労働者となって、自活しようとしたが、わずか半年で挫折して、両親の下に帰り、その後、大検試験を受けて1970年に東大に入ったとのこと。内田の解説によれば、高校時代から駒場時代にかけて、吉本に傾倒し、大きな影響を受けたこと、日本の状況を吉本に習って見くびらないこと、吉本流の筋を通す生き方を学んだことなどが綴られており、鹿島茂のこの書に対する見事なオマージュとなっている。
そういう経緯であらためて、この書を再々読した次第。
さて、鹿島のこの書である。吉本隆明のあとに1968とつけているのは、鹿島が東大に入学して、同級生仲間が吉本のことを取り上げているのに反応して、彼の書を購入して以来、吉本のすごさに惹きつけられていき、彼がなぜ、吉本のすごさを感じたかを、若い世代に向けて伝えようという趣旨で書かれたことを意図して、鹿島の吉本体験の強烈な年である1968年に思いをこめて、タイトルとしたようだ。
だから、内田はこれに応えるかたちで、内田の個人的な吉本体験の年が1967年の高校生だったことを想起させるかたちで、解説タイトルに「吉本隆明1967」としたわけだろう。
鹿島のこの書では、吉本の主著であり、難解な「言語にとって美とはなにか」「共同幻想論」(私も何度か、無理して読んでみたが、結局よくわからず、それは私の頭が悪いのだとおもっていた)、等はとりあげず、吉本がなぜ独自の思想、批判的視点を持つようになったのか、吉本の出身階層である下層中産階層からの出自からの離脱に伴うこだわり、寂しさ、疚しさ等をベースにしていることを、彼の転向論、芥川龍之介や高村光太郎に対する、批評、論説を手がかりに論証している。
それは、鹿島自身の父親(おやじ)が神奈川の小さな酒屋を経営していた、ある種の典型的下層中産階層であり、親戚一族のなかで鹿島が初めて、東大に入ったインテリ上昇層になっていったことと相同的に捉えて、吉本論を展開しているといえそうだ。
鹿島の他の本を読んでもいつも思うのだが、この人は難解な思想、哲学を自分の言葉でパラフレーズして、卓抜な事例、比喩を交えて読者にわかりやすく伝える技術に長けている。
この吉本本も難解、晦渋な吉本の原文を引用しながら、極力そのエッセンス、考えを鹿島独自の理解で翻案、伝達するという点で成功している。ちょっと、鹿島の個人的体験、思いが強すぎる点があり、そうかなと思う点もあったし、あらためて、吉本隆明の著作を読んでみたいという気にはならなかった。
冒頭、鹿島は若い編集者の「吉本は、そんなに偉いのですか?」という問いかけに対して、吉本のすごさは1960年代から70年代にかけての青春時代に吉本を読んだものでないと、その偉さの気分はわからないとこたえている。
私もある時期、はしかのように吉本に影響されたが、結局、その偉さはわからないまま、唯、筋を通す、孤高の人がいるのだなという思いと、でもちょっとこういった生き方は息苦しいし、私には無理だなと感じて、いつの間にか、吉本から離れていった思いがある。そういった点で、ある種の苦みと、挫折感とを併せ持った感情で、鹿島のこの書を懐かしい気持ちで読み終えた。
