コラム第36回
私が住んでいるところ:三鷹・吉祥寺
2025年12月16日
早 水 輝 好
長く暑い夏がようやく終わったと思ったら秋を飛び越えて冬がやってきた感じである。体がついていかず、前回のコラム以降にまた体調不良になって、10月後半になって何とか持ち直した。インフルエンザの変異株が流行しているらしいし、コロナにかかったという人の話も聞くので、皆さんも気をつけてください。
さて、「私が住んだところ」を巡るコラムも今回が最終回である。2020年4月の故郷・岐阜から始まって8回にわたって各地を行ったり来たりしたが、最後は現在住んでいる三鷹をもう一度取り上げて結びたいと思う。(基礎知識として2020年6月のコラム第3回をお読みいただくと理解しやすいです。)
前回9月のコラムで、三鷹に住むことにした理由として「家内の実家に近く子供の通学にも便利」なことを挙げたが、コラム第3回に書いた「通勤に便利」なことも大きな要素だった。総武線各駅停車の始発駅なので今も朝は座って通勤しているし、中央線のおかげで出張の際の新幹線や成田エクスプレスの利用も楽だ。ただ、羽田空港へのアクセスは良くない。三鷹→新宿→品川→京浜急行で羽田というのが標準的ルートで、最も混雑している山手線区間に荷物を抱えて乗らなくてはならない。これを避けるため、帰りはなるべく吉祥寺行きの空港バスを利用するようにしている。電車より割高にはなるが、寝ていれば吉祥寺に到着でき、あとは三鷹駅経由で帰るか、直接タクシーでも帰れるからである。
三鷹市民にとって、隣の吉祥寺は非常に重要な場所である。今回のコラムでは、いつもお世話になっている吉祥寺も併せてご紹介することにする。
吉祥寺は行政区としては隣の武蔵野市にある。東部多摩地域では最大の繁華街である。駅の北側には広い商店街があり、メンチカツの「さとう」はいつも長蛇の列。「小ざさ」の最中は少し並べば買えるが、羊羹は早朝に並んで引換券を入手してから出直して購入しなければならない。商店街の一角には、戦後の闇市がルーツと言われる「ハモニカ横丁」があり、細く入り組んだ路地に、飲み屋を中心として小さなお店が軒を連ねる。
少し歩くと、西には東急百貨店が、東にはヨドバシカメラの大店舗がある。東急電鉄の路線がないのに東急百貨店があるのは、路線計画はあったが立ち消えになったということらしい。また、「吉祥寺に吉祥寺というお寺はない」というのも有名な話で、三鷹の上連雀・下連雀と同じように、本郷の諏訪山吉祥寺の門前町の人たちが振袖火事の時に焼け出されて移住したことに由来するそうだ。
吉祥寺駅から南に少し行くと井の頭公園があり、桜の名所としてにぎわう。公園の真ん中ぐらいに市境があり、武蔵野市と三鷹市とで分けあっている。「池の水を全部抜く」で登場する井の頭池や動物園(自然文化園)もある。戦後にタイから贈られた象のはな子が日本で最長寿・69歳まで生きたことで知られ、吉祥寺駅前に銅像がある。
吉祥寺はとにかく人が多い。友人との会合に吉祥寺をよく使う家内は「ランチ難民」になるという。安くて美味しいランチを食べられる場所はいつも列ができているし、食後のコーヒーを飲む場所を探すのも一苦労なので、早めに行って昼食をとり、そのままコーヒーをとって居座るというのが定番のようだ。
三鷹になくて吉祥寺に行かなければならない代表が百貨店である。ただ、もともとは近鉄や伊勢丹もあったのだが、今は東急百貨店だけになってしまった。家電量販店は三鷹にも市役所の近くにコジマ、ノジマ、デンキチと3つもあるが、かえって規模が中途半端で、確実に入手したい場合は品数の豊富な吉祥寺のヨドバシに行く。帰省や訪問の際の手土産も吉祥寺駅のアトレで調達することが多い。また、三鷹には衣料品の大きな店がなく、吉祥寺か武蔵境(いずれも武蔵野市)の大型店舗に買いに行こうかということになる。
三鷹駅南側の中央通り商店街は活気があって、週末の歩行者天国に加え、年に何回かはイベントも開催されて出店が並ぶし、こじゃれた店もちらほら見かけるが、それでも特別に何かを調達したい場合はまず吉祥寺に行くことを考える。「ハレ」の舞台を吉祥寺に頼って、「ケ」の部分で生きているのが三鷹市だと言える。
このように、吉祥寺と三鷹は街の性格がかなり異なるが、「住みよい街」ランキングでは張り合っている。吉祥寺は商店街の外側に高級住宅街が広がっていて、練馬区南部や三鷹市東部のマンションや建売住宅の広告にも「吉祥寺エリア」と書かれることが多く、残念ながら知名度も高級感も吉祥寺に軍配を上げざるを得ない。しかし、三鷹も吉祥寺とセットで考えれば、日々の生活にそれほど不自由はなく、病院も近所にいくつかあって頼りになるし、平凡な日常生活をおくるには十分に「住みよい街」と言えるだろう。
前回の三鷹のコラムから早くも5年半が過ぎ、住み始めてから20年を超えた。今もマンションや宅地は増え続けており、残念ながら緑は着実に減っている。他に増えているのは整骨院・整体院やジム、古物商、ドラッグストアなどで、住民の高齢化を表していると言える。美味しいケーキ屋が閉店した代わりに、別のところに新しいお店ができて列ができる人気だが、単価も上昇していてまだ購入していない。また、駅ビルにあった本屋が撤退し、駅南のビルにある啓文堂書店が唯一の本屋になってしまった(啓文堂は譲渡されて紀伊国屋になるようだが)。ちょっとおしゃれなレストランとかできないのかなと期待しているのだが、なかなか登場しない。「住みよさ」は現状維持といったところである。
私にとっての朗報は、囲碁クラブしかなかった三鷹市(コラム第22回参照)に将棋クラブができたことだ。電気通信大学の先生が中心となって、民間の将棋教室の指導員の方も講師で呼び、スポーツクラブの一つとして誕生したのである。市報に部員募集が載っていたので早速入部し、月に1~2回参加している。小学生が多く、私は先生のお手伝いをするような立場だが、結構楽しい。時間ができたら日本将棋連盟公認の「将棋普及指導員」の資格をとって、「将棋の先生」になるのもいいかなと思っている。
環境省退職後の「第二の人生」はまだ仕事に比重が置かれていて、忙しい毎日である。せっかく「住みよい街」三鷹に住んでいるのだから、そろそろ仕事のない(または極力減らした)「第三の人生」のことを考えてもいいのではないかと思い始めている。
ちょうど「私が住んだところ」シリーズのコラムが終わったところで年末となった。今年は年末年始休暇が長く、早くも家内は嫌な顔をしているが、年末休暇の方が長いので、どこの大掃除をさせようかと考えているに違いない。忙しい12月を何とかやり過ごして、三鷹で穏やかな正月を迎えたいと思う。
来年こそ世界各地の戦争が少しでも終息に向かうことを祈りつつ、少し早いですが、皆さんどうかよいお年をお迎えください。
![]() |
![]() |
|||
| 「はな子」の像 (吉祥寺駅前) |
「星マルシェ」イベント (三鷹駅南側・中央通り) |
|
(追伸)先週はカーリングの五輪最終予選が開催され、女子はフォルティウスが予選2位からの決定戦に勝ち、悲願の五輪出場を決めた。今までは肝心なショットを決めきれなかったスキップ・吉村紗也香選手の充実ぶりが光ったことに加え、他の選手もそれぞれの役割を果たし、これまでにない「強さ」が感じられた。おめでとうございます。(予選3位の男子は惜しくも決定戦で敗れたが、今週は混合ダブルスが行われており、引き続き応援している。) |

