都市プランナーの雑読記-その105/佐野眞一『唐牛伝 敗者の戦後漂流』

都市プランナーの雑読記 その105

佐野眞一『唐牛伝 敗者の戦後漂流』小学館、2016.08

2025年11月19日
大  村 謙二郎

 人物評伝、ノンフィクションの第一人者、佐野眞一の久方ぶりの本格評伝である。
 数年前の橋下徹の件でいろいろ批判を受け、さらに盗用問題等でスキャンダルとなった佐野が、自己批判をこめて、初心に戻って、地に這うような調査を徹底的にやりながら、60年安保で一躍スターとなり、その後数奇な人生をたどった唐牛健太郎とその仲間達が60年安保以降たどった軌跡をたどり、なおかつ佐野自身の人生の軌跡と重ね合わせて、日本社会の変貌を描いた作品で、面白く、ちょっと切なくなりながら読みおえた。
 昔読んだ西部邁の「ソシオ・エオコノミクス」(1975)の献辞とはしがきに唐牛健太郎のことが触れられている。その時、唐牛はオホーツク海に漁に出かける漁師であった。唐牛と西部が60年安保以降も交流関係にあったのだと言うことに感慨を覚えた記憶がある。
 個人的に60年安保世代がどういった人生をたどったかは興味があり、その後、社会的に活躍した人のエッセイ(たとえば、西部邁「60年安保 センチメンタルジャーニー」、青木昌彦「わたしの履歴書 人生越境ゲーム」(2008)等は読んでいたが、佐野のこの本は、こういった人たちのエッセイは当然だが、世の中には流通していない回想録、私家本、雑誌記事、さらにはネット上で検索したブログ記事なども渉猟し読み込んだ上で、多くの関係者を訪ねて、北は紋別から、南は与論島、沖縄宜野湾へとヒヤリング、インタビューを重ねて、唐牛を中心とした時代の空気を再現しようとしている。
 佐野は高度成長期以降の日本社会について明らかにすることをライフワークにしており、この作品もひとりの人物に焦点をあてた形で、日本の社会の変化とそこに生きた人々の群像を描くというおもむきもあり、佐野のライフワークのひとつの作品といえよう。
 ちょっと、マニアックというか、ちょっとそれは妄想ではというオカルト的な表現、牽強付会な表現もあるが、唐牛健太郎の評伝として迫力ある、読み応えのある作品だとおもう。
 60年安保と、その後、あるいは私が同時代に経験したことをどう反芻して捉えるかについて、いろいろ想いを引き起こす本だ。