都市プランナーの雑読記-その87/隠岐さや香『文系と理系はなぜ分かれたのか』

都市プランナーの雑読記 その87

隠岐さや香『文系と理系はなぜ分かれたのか』星海社新書2018.08

2024年11月27日
大  村 謙二郎

 気鋭の科学史研究者の新書だ。本の帯広告によれば、東大駒場の書籍販売で一位になったこともあるとか。東大は理系、文系と分かれて教養学部が構成されており、このタイトルはそういう意味でも若い学生に気になるタイトルだったのかも知れない。
 著者の隠岐は18世紀フランスのアカデミーの歴史実証主義的な研究で博士論文を書いた人で、それをもとに公刊された著作で、サントリー学芸賞を受賞したとか。
 さて、本書であるが、日本では理系、文系という区分でいろいろな職業区分や仕事割り付けが行われているのに対して、欧米ではそういった区分は存在しないという通説が受け入れられているようだが、必ずしもその通りではないようだ。
 著者は欧米の中世からの文系、理系的な知の体系がどう分岐してきたのかを繙きながら近代大学の成立と並行した自然科学と人文社会科学の制度化がどう進んできたかを解説している。歴史的科学制度史、知の制度化の解説として蒙を啓かれた(第1章)。
 第2章では日本の近代化と文系・理系と題して、幕末期ころから明治にかけて、日本での文系、理系の成立過程を、科学技術政策がとりわけ武士階層に受け入れられやすい土壌があった事情などを説明している。
 第3章では現代日本に焦点を合わせて、産業界における文系・理系の扱い方、理系に対するある種の偏見的扱いなどの背景などを説明している。第4章のジェンダーと文系、理系の選択問題や、第5章の現代社会で要請されるようになっている文理融合、学祭化の事情と、そう簡単に解けない課題等を扱っている。
 以上、ハンディな新書であるが、内容の濃い話題、テーマが扱われている。大学が現代の知の生産拠点といえるのかどうかわからないが、大学の抱える課題や、文・理というカテゴリーの持つ意味をあらためて考えさせてくれた。
 私はあまり、深い考えもなく、大学進学に際して理系を選択したが、果たして、私は理系人間か、文系人間かと問われても、とりわけ、どちらの分野についても特にできたわけでないし、いい加減な選択を行ってきた人間だが、2分法的学問分類とは違うやり方も必要だなと本書を読んで痛感した。