「唐津 ―洋々閣・辰野・曽禰―」(2024年8月)
2024年8月29日
小 澤 英 明
8月8日に唐津に泊まった。宿はかねてから泊まってみたかった洋々閣。建物や料理で有名である。大正元年に建築されたようだが、純和風の建物で、その後、改修がなされている。建物の玄関は外から見ると、何ということもないのだが、玄関から中に入るとなつかしい日本の昔を感じさせる。その日は猛暑であったが、玄関は戸が開け放たれており、建物のなかを風が吹き抜けた(写真1)。部屋に通されると、縁側からは松の木が群生する気持ちのいい庭が見える。縁側の椅子に座ってくつろいでいたら、地震が来た。日向沖地震である(M7.1 最大深度6弱)。遠く離れた唐津も揺れた。震度2くらいに感じた。夕方の料理は部屋でいただく。予想通りのおいしさで、コモンハタの刺身が出た。食べたことのない味だったが大変美味だった。また、スズキがみそ汁に入っていて、ひどくおいしいものに思えた。仲居さんと先ほどの地震が話題になった。洋々閣も最近は外国のお客さんが多く、熊本地震(平成28年4月14日)の際は大きくゆれたので、「外国人のお客さんは驚いて皆さん玄関の外まで出てこられました」とのことだった。お風呂は温泉ではないが気持ちのいい湯である。
翌日は、朝食後近くの松林を散策した。とても暑い日だったので、歩き回ることは避けたかったが、午前中は唐津城を見学した。築城の場所として選ばれるのも納得のロケーションで、眼下に唐津市街を一望できる。城内では、じりじりと照りつける日差しの中で、数人が雑草取りをされていた。庭に驚くほど大きな藤の木がある。唐津城見学のあとは、昼食後、唐津銀行(写真2)まで歩くことにした。旅館の仲居さんに唐津観光のお勧めを聞いたとき、まず、唐津銀行の名が出た。仲居さんは、辰野金吾(1854-1919)のものと話されたが、正確には、辰野金吾の弟子筋の清水組の技師長にもなった田中実の設計で、辰野は設計の指導にあたったようである。1階はカウンター越しに執務空間が見える(写真3)。必要な復原がほどこされ、建物内部はきれいに手入れされている。
唐津銀行を出て、曽禰達蔵(1853-1937)の旧居跡に行ってみた。地図上では「旧居跡」とあるだけだったので何もないかもしれないとは思って向かったが、実際何も残ってはおらず、唐津市の中心部のまいづる百貨店の敷地の北東角に、ひっそりと「曽禰達蔵邸跡」の細長い石碑と案内板があるのみだった(写真4)。曽禰達蔵は、辰野金吾とともにジョサイア・コンドルに学んだ日本人建築家の第1期生で、小笠原伯爵邸などの名建築で有名な曽禰中條建築事務所の創設者である。辰野と曽禰という明治期の二人の大建築家を生み出した唐津藩の奥の深さが感じられる。曽禰達蔵邸跡の近くは、今なお上級武家屋敷の名残を残す石積みの塀が連なっており、風情のあるところである。
先日、当事務所顧問の大村先生に会った際、唐津旅行の話をしたところ、「曽禰の方が辰野よりも上級武士の家だったらしいね。」と蘊蓄が出て、思わず二人で顔を見合わせて笑ってしまった。確かに建築家としては辰野が格上かもしれないが、曽禰の建築もいいものである。なお、村野藤吾(1891-1984)も唐津出身である。
写真1 | 写真2 |
写真3 | 写真4 |