夭折した人々のこと(2022年11月)
2022年11月10日
小 澤 英 明
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「英語教師の日記から」(平川祐弘訳、「明治日本の面影」講談社学術文庫所収)は、ハーンが松江の尋常中学校で1年間英語教師をつとめた期間(1890年9月-1891年11月)の思い出が書かれたものである。若い教え子の病死が取り上げられていることから、最後はなかなか読み進められない。
1年あまりという短い期間にハーンの教え子の二人が次々に病死している。しかも、ハーンが目をかけていた数人のうちの二人である。一人は、志田昌吉で、「たいへん繊細な感受性のさとい少年で、芸術的な魂の持主である。図画もたいへんうまい。」とある。ハーンの自宅に日本の昔の画家の画帳類をもってきてハーンに見せてくれたことが書かれている。もう一人は、学年でもトップになるくらいの優秀な横木富三郎で、優秀なだけでなく、他の生徒が、論の立て方がうまいと横木をほめたのに対して、横木は「別にうまいわけではない。道義的に間違っていることを論破するのに巧拙は問題ではない。自分が道義的に正しいことがわかっていればそれで十分だ。」と答えたようで、そのような人物として紹介されている。志田の葬儀で立派な祭文を朗読した横木だったが、日を置かずして横木も病死した。志田は「肺がひどく衰弱して」とあり、横木は「過度の勉強のために脳を冒されたのだ、と医者は言っているそうである」としかハーンの文章からは死因はわからないが、現代ならば、救えた命と思われる。ハーンも指摘しているが当時の日本人の食生活は貧しいもので栄養も不十分であり、二人には自分で回復できるだけの体力がなかったということであろう。
先日、佐世保の実家の仏壇にある繰り出し位牌に、先祖の人々を記録した何枚もの薄い木の札が納められていることがわかった。そこには夭折した人たちの木の札も何枚かあった。「明治六酉年五月十一日齢十才多津」とあったり、「明治六酉年八月三十一日齢十七才利勢」とあったりする。「多津」とか「利勢」とか、響きもいいし、かわいい女の子を連想させるが、十代で亡くなるなんて、痛ましい。この二人は同じ年に死亡している。次々に亡くなって、親はどれだけ悲しかったことだろう。結婚すると、分家したり、嫁いだりして、家から離れたのだろうが、結婚前に夭折した場合は、位牌に戒名と名前が書かれて、その親と子孫により大切に祀られてきたのだろう。
昨年の母の死を契機に祖先のことを戸籍で調べると、調べる前とは比較にならないほど祖先を近くに感じられるようになった。直系尊属であれば、役所に戸籍(除籍)が残っている限り、いつどこで生まれて(遠い祖先だと生年月日はわからないことがあるが)、また、いつどこで死亡したかがわかる。そのような基本情報だけでも、何も知らない時よりもはるかに祖先を近くに感じることができる。お墓は負担でしかないと考えがちだが、お墓に入っている人が誰かを知ると、お参りには喜びも生まれるように思う。知れば愛着も湧く。位牌は、お墓より今やもっと人々から遠い存在のように思われる。これも、ただ敬して遠ざけ、仏壇の中に安置することだけが正しい扱い方だとは思えない。先日までは私も位牌を何か恐ろしいもののように感じていたが、多津さんや利勢さんが恐ろしいはずもない。