「夕暮れに夜明けの歌を」(奈倉有里)(2022年3月)
2022年3月3日
小 澤 英 明
ロシアのことはよくわからない。ウクライナのことはウクライナの人が決めればよいではないか、という当たり前に思えることが当たり前でなくなっている。かつては、ソ連も中国も北朝鮮も、共産主義という、現実を直視しない思想にそめられたから、あんなに国民を抑圧する人権無視の社会ができたに違いない、ソ連も中国も北朝鮮も、その社会制度から離れると、人々は、日本人と変わらないはずで、いい人もいて、悪い人もいるはず、国や民族でひとくくりにしてはいけないと、思うようにしていたし、今でもそう思おうとしている。しかし、ロシアのことを思い浮かべると、次々に悪いことが思い出される。
スターリンの粛清、シベリア抑留、終戦直後の北方四島占領。日本全体がソ連に占領されなくてどれほど良かったか。ソ連が崩壊してロシアの人たちもよかったねと思ったが、ロシアのクリミア併合や今回のウクライナ侵攻を見ると、民族の問題として見てはいけないという、私の理性もへし折られるような気がしてくる。もっとも、民族の問題というよりも、権威主義や全体主義の問題かもしれない。力への崇敬という人間の本性が野蛮な行為を正当化させるのか。愚かな指導者に責任があるのはもちろんだが、国民の責任もある。というわけで、ロシアが気になっていたところ、先日書店で、奈倉有里「夕暮れに夜明けの歌を」という、タイトルだけでは何のことかわからない本(2021年10月刊)が目に留まった。副題の「文学を探しにロシアに行く」という文字に、これはおもしろそうだという予感がした。
1982年東京生まれ、2002年からペテルブルグの語学学校でロシア語を学び、その後ロシア国立ゴーリキー文学大学に入学、2008年に卒業し、日本に帰ってからは東大の大学院で学び、研究分野はロシア詩、現代ロシア文学とのこと。私の子供世代に近い。そんな若い人が、ロシアで何を感じ、何を学んだか、これまでの半生が相当程度事実に即して書かれている。留学前から順に書き進められていて、ロシアの学生寮とか、生活の場が変わるたびに発生するエピソードも満載で、読者を飽きさせない。また、文章が良い。文学研究者だから当然だとは言えない。先日、イギリス文学研究者の本を買ったが、読みにくくて、読み進められなかった。奈倉さんのこの本が愛情をこめて作られているのは、各章のタイトルの脇にご自身のお好きな詩の文句が切りとられ、添えられていることからもわかる。「22 愚かな心よ、高鳴るな」の章には「心よ おまえも 眠ればいいのに ここで 愛しい人の膝のうえで … セルゲイ・エセーニン」という言葉が添えられている。巻末にはロシア連邦の地図があり、構成国の明細がわかる。本の終わりのあたりは、恩師との淡い恋がとりあげられており(恋とは書いてはないが、また、淡いものでもなかったかもしれないが)、そんなところは、当然脚色があると思われるものの(筆致に乱れもあるように思えるので冷静には書けなかったのかもしれないが)、全体的に素直で気持ちのいい本であり、ソ連崩壊後のロシア社会を垣間見ることができる。
巻末の地図で、ワリエワの生まれたタタルスタン共和国の位置を確認し、祖父の薬の誤飲という苦しい言い訳を思い出した。決して文化度が低い人たちばかりではないはずだが。