陸自の歌姫(2021年1月)
2021年1月8日
小 澤 英 明
12月中旬、大雪のため関越道で大規模な立往生が発生した夜、東京も寒いなと思いながら布団に入っていた。「鬼滅の刃」が「千と千尋の神隠し」の興行収入に迫ったというニュースを思い出し、急に「いつも何度でも」の歌を聞きたくなった。ウクライナ人のナターシャ・グジーの歌がYouTubeで出てないかなと探したらすぐに出てきた。このナターシャが好きなのか、それともこの曲が好きなのか、ああ、そうだ、作曲した木村弓さんの歌もあったはずと、さがしていたら、「陸上自衛隊鶫真衣陸士長(当時一等陸士)」と紹介の動画に出会った。素人っぽい自衛官の制服の女性が、恥ずかしそうにしながら、画面の中央に出てきて、歌いだした。すごくうまい。誰?この人、と急に興味を持った。「鶫」の読みもすぐにわからず、カケス?と自分の漢字力にいらだち、カケスが美声のはずもなく、可愛い恥ずかしがり屋のツグミであることを確認。「つぐみまい」さんは、今や陸自の歌姫と呼ばれている。2014年に陸上自衛隊の初の声楽要員として採用されたらしいが、これより早く2009年には海上自衛隊に三宅由佳莉さんが入隊し、人気を二分しているらしい。知らなかった。
自衛隊は国民の多くから親しまれており、また、頼りにされている。しかし、私が大学で憲法を習い始めたとき(1975年)、小林直樹先生の講義を聞くと、また、素直に憲法の条文を読むと、どうしても自衛隊は違憲のように思えてならなかった。しかし、当時から自衛隊は国民から頼りにされていたし、その自衛隊を否定するような「違憲」の判断はどうも変だと思いながら、「憲法9条は司法試験に出ないから」と、訳知り顔で話してくれた同級生の言葉に救われた気持ちで、この問題は素通りして、司法試験は合格したのだった。何か、法律の世界も深遠な奥義が潜んでいるらしく感じたが、これが世の中というものと、今では割り切るしかないと思っている。
私がいた東大駒場の昭和49年(1974年)入学のLⅠⅡ(法学部と経済学部に進む者たちの混成)12組はドイツ語を第2外国語とするクラスで、その中に、後に防衛省事務次官になった西正典君と防衛審議官になった徳地秀士君がいた。後に防衛省のトップとなる二人がいたわけだが、西君は当時から軍事に興味があるようだった。かなりませていて、私のようなガキは話し相手にはならなかったようだ。一方、徳地君は、ドイツ語の授業はいつも最前列の、中央の通路の教壇に向かってすぐ左に座っていた。私は、それから4列から5列下がって、通路から少し中に入った目立たないところで、前の誰かに隠れながら、ドイツ語教官の平尾浩三先生に当てられないようにひっそりとしていた。クラスには、その授業にほとんど出ずに、多分どこかで遊んでいた菰田正信君もいた。今や菰田君は三井不動産の社長なのだから、世の中、誰がどう出世するのかわからないものだ。
私は憲法9条問題を語るには適格者ではない。人間誰しも向き不向きがあると言い訳するしかない。素人的には、専守防衛を旨とし、ピンポイントで正当防衛できるだけの武器を日本がもつことは仕方ないと思うが、武器を輸出する企業や軍事技術研究者には今でも好感をもてない。