「自分にできないこと」弁護士小澤英明

自分にできないこと(2020年10月)

2020年10月1日
小 澤 英 明

 小さい頃から運動が苦手だった。走るのも遅く、8人走って6番あたり。運動会は好きではなかった。球技もへたで、ソフトボールの守備はできたが、打撃はからきしだめだった。バットにボールが当たっても真上にしか飛ばないのである。小学校6年生になったら、走るのは少しは速くなって、8人走って3、4番と、まあ普通になった。しかし、その後もずっと、体育は苦手だった。ラ・サール中学に入って、もとオリンピック日本代表の補欠だったと言われていたY先生の体育の授業で、反復横跳びをやらされて、私の動きが、反復横跳びになっていない、おい、君、もう一回やってみろ、と言われて皆の前でやらされ、大恥をかいたことがある。ラ・サール中学のサッカー部に1年の秋、1か月くらい入っていたことがあるが、ボールがまともに足にあたらず、すぐに退部した。
 ラ・サール中学の国語の教科書に安岡章太郎の「サアカスの馬」の文章がのっていた。そこに運動ができない多分安岡自身が投影された主人公が、バスケットの試合で、自分はうまくできないので、ドンマイ・ドンマイと大きな声は出しながら、コートの中をただ動き回る様子が描かれていたが、まさに自分だなと思った。バスケットと言えば、私が何かの機会に審判をやらされ、どちらのチームがボールをコート外に出したのかわからず、冷や汗をかいたこともある。観客のときは大体わかっていたつもりだったので、甘く見ていた。実際、審判になると、なぜどちらが出したのかわからなくなるのか、自分でも情けなくなった。
 大人になっても、この調子は変わらず、自動車免許をとるときに、仮免ではじめて市中の道路に出た際に、赤信号を見落として進んでしまい、助手席の教官にどやされて、一発アウトになったことがある。Y先生に目をつけられてから、常に不安はあったが、この時は、自分がさすがにみじめに思えた。免許は、私が31歳になって柏市の駅からバスで20分かかる交通の便が悪いところに家を買ってしまったので、やむをえず取得したのだが、自宅からの最初の運転でヘマをやらかした。住民票移転の手続きに出張所に行ったのだが、駐車場に駐車する際に隣の車にくっついてしまい、離そうとして、ますますその車にめりこんでしまったのだった。おろおろして、出張所の人に事情を話すと、出張所のテニスコートにテニスに来ている奥様方の車だろうと言って、所有者を呼んできてくれた。ぞろぞろとお仲間たちも集まった。平謝りに謝って、私は、こういうもので、あやしいものではありませんと、「西村眞田法律事務所弁護士小澤英明」の名刺を出したのだった。その方のお母さんだかが高齢者施設を利用されていたようで、来週使うので困るんですと言われたときは、最大のピンチに出くわしたような気持ちになった。しかし、運転のうまい人が代わってくれて、無事私の車はメリコミから脱出した。また、保険会社で代車を用意してもらえるから心配しなくていいよと、誰かが言ってくれた。弁護士が弁護されたのだった。
 こういう失態がその後も続いたので、妻が見かねて、0歳、2歳、4歳の子供の面倒で大変だったのだが、すぐに免許をとった。私とは比較にならないくらい運転が上手であることがわかった。以後、私は、車を運転していない。