INS
2020年2月5日
鷺 坂 長 美
「INS、いったい何をするの」と言われていた時のことです。旧自治省から大分県に赴任したのが1983年の5月ですが、翌年4月に突然電算システム課参事という辞令をいただきました。新設ポストでした。旧通産省出身の平松知事から、「これからは通信網を使って様々な情報をやり取りする高度情報化社会がやってくる。大分県はいち早くそれに対応する必要がある。その担当を」というお話でした。
当時は、旧電電公社がINS(Information Network System)という名称でどのようなサービスが提供できるかを実証実験している段階で、国のほうでも地域での高度情報化社会へ向けての施策がいくつかの省庁で構想されていました。代表的なのは旧通産省のニューメディアコミュニティ構想、旧郵政省のテレトピア構想です。県としてはどちらか一方の指定を受ければ、と思っていましたが、知事からは両構想ともに大分県で受けよう、さらに他県に先駆けて受けようとの指示です。同じような構想ですので、それぞれの特徴を際立たせるのに一工夫が必要でした。ニューメディアコミュニティ構想では、ソフトウェアー会社や専門学校を集めた企業団地いわゆる「ソフトパーク」を核として県の北部に立地した半導体製造等の先端技術企業とのネットワークを図るということをメインにし、一方テレトピア構想では、大分市の福祉サービスとして緊急通報が行えるペンダントを一人暮らしのお年寄りに配布して見守る事業等をメインとしました。申請書の提出先はそれぞれ地方の出先機関になりますが、東京の霞が関にも日参して早急な指定を受けるよう働きかけました。担当としてはかなりのプレッシャーでしたが、それぞれ第一号で指定され、安堵した記憶があります。
両構想に関係しますが、テレビをモニターとして電話回線による画像情報を提供するビデオテックスという技術があります。旧電電公社では、これを使ったキャプテンシステム(Character and Pattern Telephone Access Information Network System、ロゴはCA?TA!N)というサービスを開始しました。県でもこれに対応するため、大分ニューメディアサービス株式会社という第三セクターを設立して、画像情報の提供を開始しました。県と地域の経済界からの出資金も募り、社長は県の副知事が兼務しましたが、専務取締役には大分合同新聞で知見のある永松さんという方になっていただきました。会社では、当初は各市町村の広報用画像の提供からはじめましたが、その後、大分市にある百貨店と連携して今でいうネットショッピングを独自に行うことなどもしています。1980年代の終わりごろでしたが、大分の民間放送局は2局しかありませんでしたので、「大分県はオールドメディア後進県、ニューメディア先進県」といったものです。
その後、数年もしないうちにパソコンが普及しはじめ、それを利用したインターネット技術が開放されたことにより、キャプテンシステムの使命は終わります。民営化したNTTも2000年代初頭にはサービス提供を終了しています。大分の会社も2000年ごろ閉じたと聞きます。時代の移り変わりを感じる体験でした。