顧問早水輝好「庭の四季」

コラム第19回

庭の四季

2022年9月21日
早 水 輝 好

 9月も半ばを過ぎたが、我が家の庭では夏の初めに咲き始めたムクゲとサルスベリが咲き続けている。サルスベリを漢字で「百日紅」と書くのは100日間咲くからだと聞いて、最初は「誇張でしょ」と思っていたが、試しに記録してみたら確かに6月末から10月まで100日以上咲いていた。先人の言うことを馬鹿にしてはいけないと自戒した。

 以前のコラムによれば、小澤所長のご自宅の庭は前に住んでいた方の庭を「居抜き」で引き継がれた立派な庭のようである。我が家の場合は今から19年前の更地から作り上げた庭で、品格は足元にも及ばないが、緑が生い茂る元気な庭になった。
 家を探していた当時、家内は南側に庭を造るスペースがある場所を強く希望し、いろいろと探した結果、運良く南向きの土地を手に入れることができた。1台分の駐車用スペースの周りに樹木と花壇の場所を割り当てて、家内が少しずつ苗木や種、球根を買って一から作り上げ、現在に至っている。
 今回のコラムは、縁側に座った気分で庭の四季をたどってみることにする。

 庭の四季はマンサクの黄色い花が2月に咲くところから始まる(写真一番左)。「春にまず咲く花」というのが「マンサク」の名前の由来であると教えてくれたのは、私が大学生の頃に放映されていたNHKの朝ドラ「まんさくの花」である。いつもの「女の一代記」ではなく現代の若者の話だったので、当時親近感を持ち毎日見ていた。名前の由来に加え、黄色のチョロチョロした感じの花が面白そうで、いつか庭を持つことができたら植えようと思っていた。家内の許可を得て20年越しで実現し、1本目は根付かなかったが2本目が立派に成長した。
 次に咲くのは梅である。これは数年前に植えたのだが、あっという間に成長した。家内は実がなるのを期待して植えたようだが、残念ながら専門書には花が咲く種類と実がなる種類は違うと書かれていた。でもひょっとしたらと淡い期待を抱いている。

 その前後に咲いていた雪柳と沈丁花は残念ながら枯れてしまい、4月になるとフェンスに這わせたジャスミンが一斉に咲く(写真2番目)。チューリップなどの春の花が同じ頃に花壇を彩り、我が家が最も華やかに見える頃である。ただ、隣家でジャスミンと同じ黄色の木工バラがすぐに咲き始め、華やかに長く咲いているので、なんとなく「主役を奪われる」感が出てしまう。少し可哀そうである。
 落葉樹も葉を茂らせはじめ、駐車用スペースの芝生にクローバーが広がっていくと、夏に向けて庭が「ジャングル化」してくる。6月になるとカサブランカ(ユリの一種)や大事に年越しした鉢植えのアマリリスが豪華に咲く。片隅に植わっているツツジが遅咲きの花をひっそりと咲かせるのもこの頃である(と思う)。今年はブラックベリーが大いに茂って多くの花を咲かせ、ミツバチも飛んできて豊作を予感させた。

 そして6月末から7月にかけてサルスベリとムクゲが並んで紅白の花を咲かせ始める(写真3番目)。夏である。5月に南側の軒先にゴーヤーと朝顔を植えて網を張り、緑のカーテンを目指すのだが、今年はゴーヤーがうまく育たず、収穫も3個ぐらいだけで、むしろ朝顔の方がいつもより大きく育ってしまった。朝顔担当の私は家内から白い目で見られた。ゴーヤーの不作の原因は、朝顔に栄養を取られたからか、連作の影響か、いつもと違う種類の苗を植えたからか、不明である。ほとんど自生で広がったミョウガも今年は肝心の食べる部分の若芽がほとんど取れず、後から植えた梅などに栄養を奪われたのかもと推測している。
 反対に十数年前に植えてから最大の収穫になったのが、横のフェンスに這わせたブラックベリーである。白い花が咲いた後に実がなって、緑→赤→黒と変化して手で簡単に取れるようになると食べ頃になる。今年は7月に入ると連日ざるいっぱいの収穫となり(写真一番右)、とても食べきれないので、家内は近所に配り、冷凍にし、ジャムを作りと大変だった。庭の栄養がここに集中したかのようであった。
 夏が終わってゴーヤーと朝顔の網を外すと、足元にシソが広がっていて、花壇がほとんどシソ畑の様相を呈する。植えた覚えがなく、自生したらしいのだが、夏の間にどんどん成長して広がっていく。シソの葉はバッタとの競争で食べられる前に収穫するとそうめんや冷奴を美味しくいただくことができる。また、ちょうど先週あたりから咲き始めた花の後にできる実は、塩漬けになってご飯の友になる。
 同様に別の場所で勢力を拡大しているのがミズヒキである。紅白の小さい花が咲いて「水引」のように見えるので「きれいでめでたい」と思っていたら、最初は1本だったはずなのにじわじわと広がってきた。そろそろ間引きが必要かもしれない。

 秋の花は少なく、唯一咲くのが萩である。今年もこの週末から咲き始めた。萩は放っておくとびっくりするほど成長するので、家内が最初のうちに適当に芽を摘み、量と長さを調節している。そうするとフェンスを越えないぐらいの範囲できれいな紫色の花を適度に咲かせてくれる。他には、来歴のわからない彼岸花が1-2本咲くぐらいである。
 年に1度の剪定作業を業者が終えると晩秋。春に小さな花を咲かせたドウダンツツジが紅葉の時期を迎える。また、一番最初に月桂樹と並べて植えた柚子が成長し、無事に台風シーズンを乗り越えた分だけの実をつけ、次第に黄色く熟してくる。年末になると収穫して「ゆず湯」に使ったりジャムにしたりする。

 以前は柚子の収穫が年越しの合図で、庭の彩りを保つために植えるパンジーの花とともにお正月を迎えていたのだが、最近は家内の実家から引き取った鉢植えの椿が咲く。しばらくは年が明けてから咲いていたのだが、肥料をちゃんと与えるようにしたら11月末に咲き始め、翌春まで花をつけるようになった。植物は正直だ。
 この結果、「春にまず咲くマンサク」の地位が揺らいでしまった。「越冬つばめ」ならぬ「越冬ツバキ」が四季をつなぐ花になり、切れ目がなくなったからである。でも、今年の2月にマンサクの花を見つけて「ああ今年も春が来る」と喜ぶ気持ちは変わらなかった。

 新型コロナが流行して在宅期間が増え、庭が送ってくれる四季のメッセージが気持ちを和ませてくれることに気づいた。「緑色は気持ちを和らげる色」と言うが、その通りだと思う。植物にも病気はあるが、コロナとは無縁である。また、植えても育たないもの、何かの拍子に枯れてしまうものがある一方で、自生して広がるものも多い。植物の生命力の強さをつくづく感じる。
 こうやって書いてみると、我が家の庭には家庭菜園がなくても食べられる植物が結構あることがわかる。庭に植える植物の選定や植え付け、水やりなど日常の管理は主に家内が行っていて、私は週末に手伝う程度なので、この「加食植物」がさりげなく配置された庭は家内の意思の反映だと思う。野菜を意図的に植えなくても何となく収穫できることを楽しんでいるに違いない。
 庭の管理は根気強く、我慢強く、その時々の天候や状況に応じた柔軟性をもって行うことが必要であり、思ったように育たないことがあることも含め、子育てと似ていると思う。我が家の庭も来年でちょうど20歳。成人年齢の変更を忘れてあやうく「成人式」と書くところだった。いずれにしても20年間手塩にかけて育ててきた家内の労をねぎらうことにしよう。

     
(左から)マンサク(2月)、ジャスミン(4月)、ムクゲと百日紅(7月)、ブラックベリー(7月)