顧問早水輝好「将棋今昔」

コラム第22回

将棋今昔

2023年4月24日
早 水 輝 好

 「羽生」の名字を見て「はにゅう」と読むか「はぶ」と読むかは、年代と性別によってかなり異なると思う。ここ数年はフィギュアスケートの「はにゅう」選手の活躍が光ったが、今年は将棋の「はぶ」九段の活躍が世の中の関心を集めたのではないか。
 昨今は藤井聡太六冠(コラム執筆時点)の活躍で将棋界は一大ブームとなっている。そんな藤井六冠(タイトル戦当時は五冠)に八大タイトルの一つ「王将戦」で挑んだのが通算99期のタイトル獲得数を誇るレジェンド羽生善治九段である。結果は惜しくも2勝4敗で敗れたが、途中までは2勝2敗の互角であり(藤井六冠が第4局までに2敗したのは初めて)、羽生九段が勝った王将戦第2局は昨年度の名局賞に選ばれるなど、敗れてもなお「さすが羽生」と将棋ファンは皆思ったに違いない。

 私は小学生の頃に兄と指し始めてから将棋を続けており、趣味を聞かれたら「将棋と天体観測(又は星を見ること)」とずっと答えていた。大学でも天文部の他に(半分幽霊部員だったが)将棋部にも在籍していた。就職してからは将棋を指す機会も少なくなったが、新聞やテレビ(毎週日曜に放送されるNHK杯戦)などでプロ棋士の将棋はフォローしていたし、パリに赴任していた頃にはフランス人の将棋クラブがあると聞いて月に2~3回参加していた。
 プロの世界では、私が子供の頃はまだ大山康晴十五世名人が活躍していた。その後中原(十六世名人)、谷川(十七世名人)と時代が移り、平成になると羽生九段が光り輝くようになった。ちょうどパリにいたときに将棋のタイトル戦の一つ「竜王戦」(佐藤康光竜王に羽生五冠(当時)が挑戦)の第1局が開催され、現地の将棋クラブに連なる日本人として前夜祭に招待されたし、将棋クラブでの羽生五冠とフランス人との対局を観戦することもできた。実はパリにいた3年余の期間が一番将棋に親しんでいたかもしれない。

 将棋の面白いところは、やはり途中で取った相手の駒が使えることであろう。チェスと比べるとはるかに手の選択肢が多く、作戦も複雑になっていると思う。飛車・角のような大きい動きの駒が少なく、金・銀のような細かい動きの駒が多いことも、緻密な作戦を可能にしている。また、最終的に相手の王様を詰ませば勝ちなのだが、通常はその前に負けている方が自ら負けを潔く認めて「投了」するのが暗黙のルールであり(カーリングの「Concede」に相当)、教育上の効果もあると言われている。
 しかし、将棋界もご多分に漏れず昨今はAIが幅を利かすようになった。私が若いころの将棋ソフトは弱いものだったが、加速度的に強くなり、とうとうAIがプロ棋士より強くなってしまった。私は一応アマチュア三段の免状をいただいているが、10年ほど前に購入した市販の将棋ソフトですでに初段レベルの設定でも負けるようになった。つまり、パソコンに「手加減」してもらわないと勝てないわけで、正直あまり面白くなくなってしまった。

 今の若手プロ棋士は皆AIで研究して強くなっている。藤井六冠が指す手はAIで評価値が一番高い手であることが多いというから、藤井六冠が卓越した頭脳の持ち主であることに疑いはないが、彼の指している手がどこまでAIからヒントを得たものでありどこから自分で考えたものなのか、と思うと何となくもやもやしないでもない。熱心な将棋ファンなら誰でも知っているであろう、羽生九段のNHK杯戦における「5二銀」や、中原十六世名人の名人戦における「5七銀」は、まだAIが登場する前に人間が考えた名手である。現代のAIならすぐに発見するのかもしれないが、そんな手をひねり出した二人の人間の頭脳はやはり素晴らしいと思う。
 実は羽生九段は「七冠」「永世七冠」の他にAI顔負けのすごい記録を持っている。NHK杯戦4連覇・24連勝というものである。テレビ棋戦であるNHK杯戦は、考えるための「持ち時間」が極端に短く、それを使い切ったら1手30秒未満の秒読みで指さなければならない。このため、強い棋士でも特に終盤で間違えることがあり、ましてやトーナメント戦なので、勝ち続けるのは極めて難しい。そんなトーナメント戦の全勝(5連勝)を4年以上続けたということは、その間、30秒将棋でも致命的なミスを全く犯していないということであり、まさしくAI並みの空前絶後の記録である。藤井六冠は昨年度初めてNHK杯戦で優勝したが、あと4年続けられるかどうか、注目していきたい。
 この羽生九段(当時三冠)を決勝で破って5連覇と25連勝を阻止したのが現在の渡辺明名人である。羽生九段の後継者になるかと思われ、近年もそこそこタイトルをとっているが、なぜか藤井六冠には歯が立たず、次々とタイトルを明け渡している。現在、最後の砦の名人位を防衛すべく藤井六冠と戦っているが、どこまで頑張れるだろうか。
 いずれにしても、将棋盤の前に座れば戦うのは人間であり、AIが示した手順をなぞっただけで勝てるほどプロの将棋の世界は甘くないはずである。羽生九段が藤井六冠に善戦したのも、AIによる評価では届かない「何か」を経験値として持っていたからではないかと思う。プロ棋士にはぜひ頭脳の限り頑張って、素晴らしい棋譜を後世に残してもらいたい。

 私は5年前に環境省を退職したとき、増えた自由時間を何に使おうかと考え、将棋道場に行くことも考えたのだが、パソコンのソフトにも勝てなくなり、現代将棋の戦法が昔とすっかり変わってしまったことなどから、もはやあまり伸びしろがないのではないかと考え、将棋道場はやめてピアノ教室に行くことにした。その後新型コロナウィルスが流行して、人が密に集う道場に行くどころではなくなってしまい、(コロナの影響で閉鎖された将棋道場も少なからずあったようで申し訳ないが)ピアノにしておいてよかったと思う。しかし、それでも将棋を指したい意欲がなくなったわけではない。
 今住んでいる三鷹市では秋に市民文化祭があるが、囲碁大会があるのに将棋大会がない。近所のコミュニティセンターで活動している同好会も、囲碁は2つもあるのに将棋はない。完全退職して時間ができたら、文化祭の将棋大会までは無理でも、せめて同好会ぐらいは作る活動をしてみようかなと密かに考えている。(もっとも、今どきはネット対局が盛んで、リアル同好会に人が集まるものなのかどうかわからないが。)

 

(左)パリでの竜王戦(1994年)の記念扇子(竜王・佐藤康光「調和」、挑戦者・羽生善治「玄遠」)
(右)退職後に千駄ヶ谷の日本将棋会館で買い求めた扇子(九段・加藤一二三「生涯現役」)