「都市プランナーの雑読記-その29/江藤淳『一族再会』」顧問大村謙二郎

都市プランナーの雑読記-その29

江藤淳『一族再会』講談社学芸文庫、1988.09

2021年6月16日
大 村 謙 二 郎

 ずっと前に買っておいたのですが、積ん読状態のままだった本です。この本が単行本「一族再会 第一部」(講談社)の形で刊行されたが昭和48年5月のことで、昭和8年12月生まれの江藤の30代最後の作品ですが、早熟の俊英とも言うべき江藤のこの作品は、老成した作家の文章だなという印象です。
 私の若い頃は、江藤淳は老成した、保守反動というイメージで読まず嫌いでしたが、やはり優れた作家、批評家だなと思うようになってきました。
 4歳の時に母広子(享年27歳)を亡くした江藤淳は、母の不在というトラウマを抱えた形で成長して、作家活動、批評家活動に入ってきた経緯があります。その江藤が自分の存在根拠を探るためにも、一族の系譜を辿るべくこの作品を書いています。
 最初の章が記憶も定かでない母についての記述です。母の母校、日本女子大に行き、当時の記録や当時の同窓生からの話で母の像を再構成していきます。
 江藤淳は父方の祖父は海軍中将江頭安太郎、母方の祖父は海軍少将宮地民三郎と、父祖に海軍提督を持つという家系に生まれた。さらに、父方の祖母米子の父、つまり江藤の曾祖父、古賀喜三郎は佐賀藩の出身であり、幕末から明治にかけて、海軍に関与することになります。また江頭安太郎の父、つまり江藤淳の曾祖父にあたる江頭嘉蔵も佐賀藩の下級武士でした。そして二人の曾祖父ともに、明治の初めに江藤新平がおこした佐賀の乱で深く傷ついた記憶があります。
 こういった一族の系譜を意識しながら、江藤淳は祖母米子の人生を辿りながら、その父=江藤の曾祖父古賀喜三郎が、海軍では佐賀藩出身と言うことで差別を受け、出世を閉ざされ、退役して海軍予備校に自分の人生の拠り所を得ることを描写していきます。
 次いで、古賀が見いだし、後に娘米子の婿となる、海軍の俊才、江頭安太郎(江藤淳の祖父)が明治期の海軍形成期にどう関わり、日清戦争に関わっていくかが描かれていきます。
 最後の章で再び、母方の系譜に連なる、もう一人の祖父、民三郎の人生とその思いを辿ることで作品は閉じられます。
 当初の江藤淳の構想では、作品は書き継がれる予定だったようですが、結局一部だけで二部は作品化されませんでした。
 幕末から明治にかけて、近代日本、特に海軍が形成される過程の中で、江藤淳の一族の系譜に連なる人々がいかに関わってきたのかを、達意の文章で叙情豊かに描かれており、感慨深いものがありました。ある一族を通じた近代日本の成長史としても読めます。
 西尾幹二がこの文庫の解説を執筆しています。この本の特質を「日本が藩的エトスの渦巻く明治前半から、日清戦争を経て、近代国家の観念を次第に脱皮していくプロセスが、・・・個人の系譜を訪ねる私的歴史とぴったり重なって探索される」と読み解いていますが、明晰な分析です。