弁護士小澤英明「土持敏裕君の勇気」

土持敏裕君の勇気(2023年3月)

2023年3月22日
小 澤 英 明

 3年前に亡くなった土持敏裕君を偲んで、3月20日、「土持敏裕さんの思い出を語る会」が霞が関の法曹会館で開かれた。土持君は著名な検事であり、広く知られているが、私は、土持君とは鹿児島ラ・サール中学の同級生であり、中学1年の時から知っている。私の記憶では、中学1年の最初の中間テストで土持君は学年1位の成績をとり、クラスが違う私も土持君とはどういう人なのかと隣の教室に彼の顔を見に行ったことがある。「思い出を語る会」でも友人代表の菰田哲夫君(福岡のこもたクリニック院長)がラ・サール時代の思い出を語っていたが、私や菰田君などは、幼稚な方で、中学1年のときは、社会の右も左もわかっていない生徒だった。一方、土持君は、既に社会のいろいろなことに通じており、おませな中学生だった。残念ながら、私は、中高6年間、土持君とは同じクラスになったことはなく、ラ・サール時代は接触する機会が少なかった。しかし、土持君は誰とでも腹蔵なく話すあけっぴろげな性格で、友達が非常に多く、私の友達の友達が土持君ということがしばしばで、間接的に土持君のことを聞くことが多かった。
 東大文一から法学部に進んだあとも、土持君のうわさはよく聞いていたが、一緒に活動したり勉強したりすることはなかった。しかし、ラ・サール同期で司法の道に進んだのは、土持君と私だけということもあって、彼が知り合いからの相談に手を焼いて、その相談ごとが私に回ってくることはあった。土持君が検事の道に進んだと最初に聞いた時に、少し意外に思った。というのは、彼は、誰とでも仲良くなり、博識で、頭脳明晰であり、また親切な男だったので、弁護士になるものとばかり思っていたからである。今でも、彼が弁護士の道に進んでいれば、検事での活躍以上に弁護士としても活躍したに違いないと思っている。
 「思い出を語る会」では、ゆうに100名を超える人たちが集まって、さまざまに土持君の思い出を語っていたが、参加者にはマスコミ関係者が、かなりの割合を占めていて、土持君の交友関係の広さと特徴をよく表していると思った。世の中にはさまざまな社会現象があり、それらをすべて実際に体験することはできないが、それらをマスコミの人たちが取材活動を通して得た情報で理解することはできる。土持君は、そのような社会のリアルな事実に大きな関心をもっていたので、本能的にマスコミ関係者と親しく接し、マスコミ関係者も土持君のそこを理解し、また、そこを愛したものと思う。
 マスコミ関係者だけでなく、世間で土持君の最大の功績として挙げるのは、福岡の暴力団工藤会のトップに対する頂上作戦の陣頭指揮を彼が福岡県の検事正としてとって、みごと工藤会を壊滅させたことである。検察、警察、国税の緊密な連携プレーがなければ、この作成が成功しなかったことは容易に想像つくが、このような連係プレーは、それまで誰もできなかったことでる。この手法は暴力団壊滅方法の成功モデルとして今や広く認識されているが、この作戦を成功させたのは、土持君の勇気である。彼が64歳で死亡する半年ほど前の2019年9月13日、私の事務所を訪ねてくれたことがある。既に膵臓ガンが進行していた。写真は、会食した日比谷公園内の松本楼でのもの。真ん中が土持君である。