弁護士小澤英明「ひっかけ」

ひっかけ(2023年5月)

2023年5月29日
小 澤 英 明

 次男が4歳の頃、選挙のポスターで同じ候補者のものが2枚並んでいたのを見て、「わかった。間違い探しだ!」と突然叫んだので、大笑いしてしまったことがある。どうして同じ写真が2枚並んでいるのだろうと不思議でならなかったのだろう。「謎が解けた!」みたいな声を出したのが、今思い出してもおかしい。この5月の連休に長男の長男(つまり私の孫)が私の家に遊びに来て、間違い探しの本を見ていた。私も加わったが、ちょうど難しい問題にぶつかって困っていたところだった。牧場に牛が放牧されている写真で、3か所の間違いをさがすものだった。2か所はすぐにわかるのだが、もう一か所が、私もわからず、10分ほど経過した。私も降参したのだが、「この牧場の草の1本が違っているとか、ま、そんなひっかけないよね。」と私が言ったら、孫が「そんなひっかけないよ。」と応じた。そのときの孫の表情が忘れがたい。「あきれるよ、そんなんじゃ。」という顔で、ああ、5才の子供も、そういうことは、もうわかるんだなと思った。
 世の中は、お互いに信頼しないと、効率的には動かない。信頼できる人の書いたものは、そのまま受け取ることができるが、信頼できない人からの書面はそうはいかない。その中のどこかに、ひっかけがあると、これは、場合によっては大変なことにもなるのであって、「牧場の草の1本が違ってるんだよ、気付かないお前が馬鹿なんだ。」と言われれば、誰もが激怒するだろう。つきあう人はよくよく選ばなければならない、というのは、こういうことで、しかし、社会生活をする以上、このようなリスクは誰にもあるわけである。
 ときどき、経理の誰かが会社のお金を使い込み、それがかなりたって発覚して、会社に大きな損害が発生するという場合がある。こういう事件では、男の場合は、大概賭け事で金をすって、女の場合は、哀愁漂うが、男に貢ぐというパターンが多い。そんなときに、気付かなかった上司が大抵の場合ひどく非難される。私は、こういう上司にはかなり同情的で、「仕方ないよね、何から何まで疑うわけにもいかないし。」と思ってしまう。おそらく、そう思う人も少なくないと思うのだが、表だって、「仕方ないよね」というわけにもいかない。
 法学部の学生時代、刑法で「信頼の原則」という言葉に出会ったことを思い出した。酒に酔った客が駅に降りたことを認識しながら駅員が放置したところ、客が線路に落ちて電車に挟まれて死亡した事件で、「転落などの危険を惹起するものと認められるような特段の状況があるときは格別、さもないときは、一応その者が安全維持のために必要な行動をとるものと信頼して客扱いをすれば」、駅員の過失はないとした最高裁の判決がある(昭和41年6月14日判決:西武線保谷駅事件)のだが、このような事案で過失を否定する判断を指して使う言葉である。人は、それぞれ他人がどのように動くのか信頼して行動するのだけれど、何が適切な判断なのかは判定が難しいものである。そもそも適切かどうかの判断を何の判断に使うのかにもよる。また、時間がない場合に悠長な判断は求められない。さらに、他人についてどこまで情報があるかにもよるし、自分の能力にもよる。複雑な条件のもと人は判断している。