「青森」弁護士小澤英明

青森(2021年5月)

2021年5月13日
小 澤 英 明

 妻の実家のある青森に5月の連休に結納に行ったことがある。かなり昔のことである。私の両親も一緒だった。今覚えているのは、夜行列車で上野駅を出発し、早朝に人まばらな青森駅に降り立ったときからである。私の母親が、上野発の夜行列車・・・と歌にあるとおり、と言ったが、5月だからもちろん雪はない。しかし、北国の寒さが感じられ、母がその歌を口ずさんだ気持ちもわかった。津軽線に乗り換えて、妻の実家の近くの津軽浜名という駅に着いた。まだ朝早かったので、近くの旅館に到着し、そこで朝ごはんをいただいた。その焼き魚や簡単なお造りや味噌汁というものがおいしく、青森の好印象はこの旅館の朝からだった。
 妻の実家はお寺で、結納の儀式は広間で行われたはずだが、記憶にあるのは、広い裏庭の桜の木々が満開だったことで、青森は東京よりも1か月春が遅いことを知った。お昼の食事は、仕出し屋さんのものもあったと思うが、お寺のなかで幾人かの檀家さんがお手伝いをされていて、次から次においしいものが出てきた。当時、私は今からは想像できないほど痩せていて少食であり、おいしくないとすぐに食べられなくなって困ったものだったが、この時の昼食ほどおいしいと思った昼食はそれまでなかった。既にその時点で妻の母親はなくなっており、親しいお友だちだったと自己紹介された檀家の奥様がずっとお世話をされた。翌日は義父(そのときは予定)の運転で、青森市に出て、それから八甲田山を通って、十和田湖に向かった。八甲田山の雪の回廊の中のドライブだった。
 それから40年近くたった。この間、妻の実家のある今別(いまべつ)町は人口減少の一途である。2014年には消滅危惧市町村の全国3位にランクされた。町全体が寂れたが、さいわい、妻の実家は、奥津軽今別駅という新幹線の駅から車で10分ほどであり、東京から新幹線で行くには都合がいい。ひとつの夢想は、妻の実家のお寺の敷地の片隅を借りて、小さいが完全に冬の寒さに耐えられる別荘を建てることである。敷地は目の前に津軽海峡の海が広がるので気持ちがいい。しかし、この海も妻に言わせると、見あきた風景でどこがいいの?ということらしい。しかも、津軽海峡の海は灰色がかった緑色、小学校のお友達のお父さんも海で命を落としたのよ、と。確かに、冬の今別町は、一面の白い雪に、赤いトタン屋根、遠くに荒れ狂う暗い海が見える葛西四男(画家)の世界だろう。
 それならば、青森市はどうだ? 市街地の中心部あたりに、再生可能エネルギーですべてをまかなえて、冬も快適に過ごせる小さな超現代的な実験住宅をつくる。駅から近く、徒歩10分以内にいくつも居酒屋のある古川あたりのエリアがいい。知らない人が多いが、青森の食のレベルはきわめて高い。また、喫茶店もいいところを複数知っている。ただ、ゴミ出しや雪かきはどうするのか・・・。マンションじゃないと無理なんじゃないか・・・。しかし、マンションを借りるくらいならホテルでいいはずだ・・・。そりゃそうだ。こんなことを考えているうちに、外出自粛2年目の長い一日がやっと終わる。ホテルにだって今は遊びでは行けない。自粛しないといけないと思うから、よけいに青森に行きたくなる。

旧弘前市立図書館