「野辺の送り」弁護士小澤英明

野辺の送り(2021年11月)

2021年11月5日
小 澤 英 明

 9月29日、母が死亡した。92歳、老衰による死だった。自宅から歩いて3分の施設に1年半前からお世話になっていた。朝5時に施設から自宅に電話があり、母が心肺停止となったことを知った。すぐに来てくださいと言われた。2か月ほど前から食欲がなくなり、食事の介護を受けたが、1か月前から、ほとんど固形物を食べられなくなった。施設長が心配されて、非常事態宣言中だったが、私たち夫婦を担当のお医者さんの施設訪問日に呼び寄せてくださった。スタッフの方々は、食欲がないので、あと、1、2週間かもしれない、と言われた。お医者さんは、そこまで早くはないような感触を述べられたが、会わせたい人には会ってもらった方がいいでしょうと言われた。福岡の兄がすぐにやってきた。
 その後、どこまでの終末治療をするのか悩んだ。友人の医師にも相談した。病院内であれば、いくらでも延命措置が可能であるようにも思われたが、ただ延命治療を続けるためだけに施設から病院へ移転させるという気にはならなかった。しかし、少しでも長く生きていてほしいということはどの家族でも同じだと思う。この点の判断は非常に難しい。週末にかけて、兄とも相談のうえ、事態を好転させる可能性があれば、単に水分補給を目的とする点滴だけではなく、栄養剤の点滴もお願いできないかと、担当のお医者さんに希望を伝えた。お医者さんが選択されたのは、主として水分の補給を目的とする点滴の回数を少し増やすことだった。その時点で、最期を覚悟した。点滴を増やすと痰も出やすく、その吸引が母を苦しませているようだった。死亡する4日前の土曜日、ベッドに近寄って声をかけたとき、母が目をつぶったまま返事をした。それが最後の母との会話だった。
 死亡の前日も妻と母を訪ねたが、その日は朝少し熱があり、37.5度と聞いた。寝息をたてて母が眠っていたので、声をかけるのもはばかられ、そばにいた父と15分ほど会話をした。ときおり、父が母の枕元に近寄り、額に手を当てて熱をみていた。その翌日の早朝に施設から電話があったのだった。妻から、すぐにかけつけなければ、と言われ、せかされ、あわてて飛び出した。走って施設にたどりつき、部屋に入った。妻がすぐに母の近くに顔を寄せた。息をしていないと、声をあげて泣き出した。父はぼうぜんとして自分のベッドに腰かけていた。母の手はまだ温かかった。妻が兄に電話した。お医者さんの確認の前だったが、母の死を告げた。その後の記憶はあいまいだが、葬儀社に電話し段取りを確認した。家族葬なので自宅でお通夜やお葬式を行うと告げ、遺体を施設から自宅まで運んでもらうことをお願いした。午後1時から施設で心のこもったお見送りをしていただいた。
 お通夜は、その翌々日となった。お通夜の式の前、棺に母の遺体を納めるにあたって、体を清める作業があった。それを若い二人の男女の納棺師の方が担当された。母は温かいシャワーで髪を丁寧に洗ってもらって気持ちよさそうだった。翌日は台風一過の雲一つない晴天であった。出棺時、黒い喪服に正装され、私の家の前の道の角に隣家の方々が3人立っておられた。思わぬことだった。妻が朝方、迷惑をかけるといけないので、母の死と出棺の時刻を両隣の家に告げていたのだった。