「尾崎喜八」弁護士小澤英明

尾崎喜八(2021年2月)

2021年2月1日
小  澤 英  明

 年末にリヒテル演奏の室内楽が入った2枚もののC Dを購入した。1枚目はブラームスのピアノ四重奏曲第2番が入っていて、2枚目にはフランクのピアノ5重奏曲ヘ短調が入っている。実は1枚目のブラームスが目的で購入したのだったが、2枚目のフランクが予想外によかった。この曲は過去に聞いている、尾崎喜八の本に言及されていたのはこの曲だったはずと、本を書棚から探し出した。「音楽への愛と感謝」という少し気恥ずかしくなる題名の本である。そこに、尾崎喜八が鎌倉の自宅の上のSさんの家に呼ばれて、この曲を聴いたことが書かれているところがある。尾崎喜八は詩人、登山家、翻訳者として知られているが、この本には音楽にまつわる文章が集められている。私はほぼこの本でしか尾崎喜八のことを知らないが、この本は時々書棚から取り出す。
 この本の最初に「Ⅰ 生い立ちと音楽」という自叙伝部分がある。尾崎喜八は、実家が商家で、父親の意向で、小学校を高等2年で出ると、商業学校へ進む。商業学校を卒業すると、叔父の関係している銀行で勤めを始めている。その頃から、文学熱が高じて、高村光太郎や武者小路実篤の知遇を得る。若い頃の理想を求める姿は私にはよくわかるのだが、父親からは理解されず、廃嫡までされている。父親は、「人間は商人でなくては駄目だ」と言って、「商人はいくら小体(こてい)にやっていても、・・・人からとやかく指図をされたり、つまらないやつにへいこらしたりする必要はこれっぱかりもない。男一匹、実力さえあれば大手を振ってどこでも歩けるし、なんでもできる。」という信念の持主だったようである。商人は、一見すると、「つまらないやつにもへいこら」しているように見えるが、実は、そうではないというわけである。確かに、世間というか、人間というものを肯定しない限り、商人としては成功しないが、それを肯定すれば、個別のへつらいは不要で、すべて自己責任の世界である。両者の理想主義と現実主義とは正反対のようにも見えるが、今の私には両方理解できる。年齢を重ねても事実を直視せずに理想ばかり語るのは正直な人間ではないし、若い時から現実主義というのであれば、単なる利己的人間のようにも思える。
 尾崎喜八の文章は、西欧の文章の翻訳のような感じを受けるところがあり、必ずしも私の好みではない。しかし、自叙伝部分の恋人の死を扱うところなど、今読むと特に胸に迫るものがある。1919年2月5日、スペイン風邪による死である。新年早々罹患したとある。この本には、後年の尾崎喜八の鎌倉での日々を綴る明るい文章も多く含まれている。近所のクラシック音楽の同好の士とレコードを一緒に聴くなんて、もう今はないだろう。老年は音楽と自然に囲まれて、理想的な生活を送ったようにも思われる。
 フランクの作品を熱心に聴くことになったのが、尾崎喜八のこの本によるのか、今は記憶がはっきりしないが、ある時期、熱心にフランクの作品を聴いた。「大オルガンのための6作品」のうちの第1曲の幻想曲ハ長調(Op.16)、第3曲の前奏曲、フーガと変奏曲ロ短調(Op.18)などのオルガン曲が好きだが、ピアノ作品も好きである。交響詩「魔神」や交響的変奏曲が収録されている、フランスの若手ピアニストのシュマユのC Dはよく聴く。