「『生態系を守る』ということ」顧問早水輝好

コラム第4回

「生態系を守る」ということ

2020年7月21日
早 水 輝 好

 そろそろ環境のことも書かなくてはいけないと思って最初に浮かんだのがこのテーマであるが、法律事務所とはあまり縁がない話かもしれない。アメリカではNGOが野生生物を原告にしてその保護のための裁判を起こした例があり、日本でも試みられたが、原告適格とされなかったと記憶している。つまり裁判にはなりにくいテーマであろう。裁判になりにくいということは行政がしづらいということと類似している。
 日本で「生態系保全」が語られるようになってから、おそらくまだ30年も経っていないと思う。日本の自然保護行政は森林や狩猟の管理、景勝地の保護から始まっていて、自然公園法は今でも「優れた自然の景勝地の保護とその利用の増進」が主目的である。1992年に制定された「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」や1993年に制定された環境基本法に「生態系」という言葉が登場し、その後は国際条約でも使われた「生物多様性(Biodiversity)」という言葉が主流となって、1995年に生物多様性国家戦略が策定され、2008年には議員立法で生物多様性基本法が成立、それからようやく自然公園法などの個別法にも「生物多様性の確保」が法目的や施策に含まれるようになった。
 本家本元の自然保護や野生生物保護の法律がこういう感じなので、化学物質による生物や生態系への影響が考慮されるようになるのにも時間を要した。日本ではPCBが食用油に混入して健康被害を引き起こした「カネミ油症事件」を端緒として、PCBのような残留性・蓄積性の高い有害化学物質の製造・使用を事実上禁止する「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律(化審法)」が1973年という早い段階で制定されたが、その法目的は当初「人の健康を損なうおそれがある化学物質」による環境汚染の防止に限られ、「動植物の生息若しくは生育に支障を及ぼすおそれがある化学物質」が規制対象に加わったのは30年後の2003年になってからである。当時、化審法の担当だった私は、パンフレット*を作成し、「生態系保全のための化学物質対策」の必要性を訴えた。
 日本の公害の歴史の中でも魚への影響がしばしば問題になっているが、それは「食品としての魚」「漁業の対象としての魚」への影響であり、「生き物としての魚」を対象としたものではなかった。公害防止の目的である「人の健康の保護」と並ぶ「生活環境の保全」の「生活環境」が「人の生活に密接な関係のある動植物及びその生息環境を含む」として、「人にとって有用な動植物」を守ろうとしていたのである。
 「生態系の保全」のために化学物質を規制するという説明は法律的には簡単ではない。例えば農薬やシロアリ駆除剤は明確に一定の害虫や雑草を駆除するためのものなので、それらを含む「生態系」を保全するためには使用そのものができなくなるかもしれない。このため、化審法の改正に当たっては、化学物質の審査では「動植物の生息又は生育に支障を及ぼすおそれ」を確認するが、規制対象は「生活環境の保全」の範囲である動植物(生活環境動植物)の生息・生育に支障を及ぼすおそれで判断する、という二段構えの仕組みになった。当時並行して議論されていた水生生物保全のための水質環境基準の設定も同様の考え方で、水生生物に対する有害物質を対象とするが、項目としてはBODやCODで表わす有機性汚濁と並ぶ「生活環境項目」としての位置づけとなり、「有用な水生生物及びその餌生物並びにそれらの生育環境の保護」のために基準を設定することになった。ただ、化審法では(少なくとも私が担当していた頃は)「害虫以外の身の回りの生物を守るという意味ですよ(だから生態系保全と大して変わらないですよ)」と幅広く解釈し、説明するようにしていた。法的概念として「生活環境動植物」を分けられたとしても科学的にはむしろ難しいし、「生活環境動植物」が「有用な動植物」に限定されるという解釈をする必要もないと考えたからである。
 「生態系保全のルールは、日本中どこでも、ミジンコを1匹も殺さないというルールで厳しすぎる」と言われることがあるが、これは事実誤認である。生物への毒性(生態毒性)に関する試験結果から安全レベルを算出する際には、人への毒性評価の時のように個体差までは見ないし、慢性の影響については個体の生死ではなく生物種や個体群の存続を左右するような指標(生長、繁殖など)で評価している。また、「化学物質のために魚が死んだりいなくなったりしたような事例があるのか。他にもいろいろ要因がある。」ともよく言われて、結構反証に困るのだが、化審法改正の際の審議会**で鷲谷いづみ先生(当時東大教授、現中央大学教授)が、「生き物は、化学物質以外の生息環境の悪化によっても絶滅の危険を高めているが、生き物に他の環境の悪化でストレスがかかっているということを前提にして、絶滅を加速しないようにという姿勢が必要。本当に生態系を守るつもりだったら、原因を押しつけ合うような分析はよくない。」という趣旨の発言をされたことをよく覚えている。鷲谷先生は、生物多様性の保全の考え方についても「生態系は多様な生き物がつながり合って生きているわけで、ある生き物がいなくなると連鎖的な反応が起こる可能性があり、どんな反応が起こるかの予測は難しいので、そのシステムの中から『要素』が失われないようにするというのを1つ原則にする必要がある。」と発言された。日本では数少ない化学物質の生態毒性研究の第一人者であった故・若林明子先生(東京都環境科学研究所基盤整備部長、後に淑徳大学教授)は常々「人間は生態系の頂点にいる生物だから、他の生物に対して配慮する責任がある。」と言っておられ、やはり審議会メンバーとして化審法改正のバックアップをしていただいた。
 人間は生態系の構成員に過ぎない。生態系の中で生かされているのだから、まわりの生態系をなるべく損なわないようにしていくのが当然の責務だと思うのだが、開発サイドや産業界からは、さすがに「なぜ生態系保全が必要なのか」と問われることはなくなったものの、「どこまでやらなくてはいけないのか」「コストがかかっても対応が必要なのか」という疑問を投げかけられることが少なくない。ただ、昨今、持続可能な開発目標(SDGs)の達成に積極的な企業も出てきて、生態系保全には追い風になっている。また、新型コロナ問題でも生態系破壊への警鐘が鳴らされている。国立環境研究所生態リスク評価・対策研究室の五箇公一室長は、「新型コロナウイルスの原因も生物多様性の破壊にあるのではないか。病原体にも本来の生息地があるが、その生態系を破壊することが新興感染症の出現につながり、グローバル化により感染症が急速に拡大するようになった。生物多様性の破壊を減速させ、ゾーニング(野生生物と人間の社会の線引き)をすべきだ」と述べられており***、他の有識者からも類似の話を聞く。
 この機会に、生態系と人間の関係を考え直して、生態系や生物多様性を守ることの重要性に対する理解が広まることを期待したい。

* 2002年作成のパンフレット
「次世代のための化学物質対策-生態系をまもるために」より
(日本の化学物質対策が当時生物に配慮していなかったという説明用イラスト)

**  中央環境審議会環境保健部会化学物質審査規制制度小委員会(2002年10月~2003年1月)
*** 「新型コロナウイルス発生の裏にある“自然からの警告”」と題する動画が公開されている。