都市プランナーの雑読記 その97
與那覇潤『日本人はなぜ存在するか』集英社文庫、2018.05
2025年5月30日
大 村 謙二郎
與那覇は1979年生まれで歴史学が専門。この人の著作で最初に読んだのは当時評判となっていた『中国化する日本』という、かわった題名の書で、いままで読んだことのない、斬新な切り口の歴史、社会解釈の本だがなんとなく眉唾的な思いもした。
本書は與那覇が勤務していた愛知県立大学での講義録をベースにした書き下ろし単行本で2013年に刊行されたものを文庫版として刊行したものだ。文庫化にあたって、長い解説を付している。また、與那覇は2016年にうつ病を発症し、2年近く闘病をし、その間、大学をやめ、社会的発言、発表もできない状態だった。最近、いろいろな著作を刊行し、旺盛な言論活動をしている。
大学の教養課程用の講義という触れ込みだが、なかなか、知的水準の高い内容で、歴史事実をどう捉えるか、どういう枠組み、射程で捉えるかによって、論説内容も含めて、大いにかわること。一見、自明と思い、普段はあまり気にしない概念、用語を深く考えると明確でない日本とは日本人とは、人類とは民族とは国家とは何かについて、鋭く論究している。これらが自己言及的、再帰的構造を持っていることを様々な文献、論説を通じて紹介し、常識、先入観を疑うことを説いており、知的刺激に満ちた本といえる。
日本固有の文化、伝統文化という考え方が、ある時期につくられた考え、論説に大きく影響を受けていること、かわらない文化というのは、本来の文化概念とかけ離れていること、日本語の「社会」という言葉も、そもそも翻訳語であり、その解釈を巡って、いろいろ論説があり得ることなど、鋭い指摘で啓発される。
私と相当かけ離れた若い世代にもいろいろ才能あふれる人材がいるものだと感心。後生畏るべしだ。世代で物事を判断することの愚を避けなければいけないことは承知しているつもりであるが。
與那覇の指摘には鋭い批評性がいくつかあるが、その中でも、そうだと思ったのは国家をある特定の人物で代表させ、あるいは国家を擬人化して説明、解釈、納得させることが起こりがちだが、こういった解釈が持つ問題を鋭く指摘している。ヒトラーでナチスを代表させること、トランプでアメリカを象徴させるやり方などは、わかりやすいが危険だという指摘で、蒙を啓かれる。その点で、與那覇は、フロイト理論を下敷きにしたような加藤典洋の敗戦後論の議論の危うさを指摘しているのは当を得ているように思われた。加藤典洋のこの敗戦後論を全面的に否定するわけでないが、相対化して、異なる文脈で読むことの大切さを指摘しているように感じた。